2016.12.27
深層心理学(4)
こんにちは、commonoデザイナー/翻訳者のうちむらです。
深層心理学の4話目です。ユングについてもう少しお話していきます。
前回は、フロイトとの思想的な決別が、ユングに大きな影響をもたらした事を書きました。自分とフロイトにどうしても埋められない方向性の違いがあるという事実に自分なりの「けじめ」を見いだそうとし、その結果、無意識レベルで決定的に考え方、感じ方が違う、ふたつのタイプが存在するのだと結論づけました。
1917年に発表した「無意識の意識」という本の中で、ユングはある症例を紹介します。父親コンプレックスを伴った不安神経症の女性についてでしたが、ここで彼は、フロイトとアドラーのふたりの視点からの解釈を紹介しています。
彼女の症例をフロイト的に見れば、それは父親に対する性愛的な要素を伴う愛憎の葛藤が表出したものであり、アドラー的に解釈するなら、それは病気になることで、父親を含む家族を支配したいという権力欲が歪んだ形であらわれたものでした。ユング自身はどちらの解釈も理解できるというスタンスをとっていますが、「どちらかというと」アドラーの方に自分と通じるものを感じていたようです。
では、なぜこのような違いが生じるのか、そして自分はアドラーの方の考え方にひかれたのはなぜか、この部分にユングは注目しました。
フロイトがなぜ「性衝動」に着目したのか。それは性というものが対象を必要とするものだからです。相手の存在とその関係性にゆがみが生じるとそれが病理として発露するというパターンが、フロイトにとっての精神病の発生メカニズムでした。それに対してアドラーによれば、それは他者を支配したいという「自分の欲求」と、それが達成される、されないによって生じる「自分の未来の展望」のゆがみが病理として表れるという、あくまで主体中心の発想であったのです。
この違いは、フロイトとアドラー自身のタイプの違いによるものではないかとユングは推測しました。常に他者との関連性によって生まれるうまれる反応が自分の動機となるフロイトは、ユングの分類によると「外向型」で、主体の欲求が他者を動かそうとするというアドラーの発想は「内向型」である、という、対になる類型を見いだせるとしました。そして、ユング自身は内向型の性格であるため、アドラーの意見に共鳴する部分が多いのだと結論したのです。
その考えに基づきユングは「心理学的類型」という別の本を著しました。その中で歴史上の思想家をいくつか例にあげ、彼らを外向型、内向型に分類していきます。
ヘレニズムの傑出したふたりの思想家であるテルトゥリアヌスとオリゲネスについては、自分の内的な世界を徹底的に見つめたテルトゥリアヌスに対して、オリゲネスは当時流行していたギリシャ哲学をユダヤ教やキリスト教と結びつけ独自の宗教体系を作り上げました。外からの影響を巧みに取り入れた彼は、当時としては現実的な、外向型の思考パターンを持っており、ユングは彼の思考パターンとフロイトのそれとの類似性に着目しています。
その他にもシラー(内向)とゲーテ(外向)、さらには神話の人物であるアポロン(内向)とデュオニソス(外向)などの例をあげていき、世界の全ての人が「外の世界に順応していき、幼児的な欲求抑圧が表出する」外向的人格と、「自分の内面の声に従い、自分が他より優れているという認識を必死で守る」内向的人格のどちらかに分類されるという理論を発表しました。
このふたつの態度をベースに、それぞれを合理的・非合理的と二分し、そして合理的な性格を思考型・感情型、非合理の方を直感型、感覚型にそれぞれ二分します。
このように、ユングの類型はすべてのものを二つに分け、それをさらに二分するという方法論をとっているところが特徴といえるでしょう。細胞が二つにわかれ、それを繰り返して人体を形成していくように、人間の心も、二分を続けることによって解明に近づくとユングは考えたのだと思います。
そのような発想で、ユングは様々な神話や宗教上の物語の解説もおこなっており、オカルトの分野にも手を出しています。そのため、ユングの著作を純粋な科学と受け止められないという見方が多いのも事実です。しかし、対の概念で心理学を突き詰めて行くという思考の方向性は、現在でも精神医学に取り入れられており、ユングが世界の思想に及ぼした影響は、今でも世界に息づいています。
ちなみに、ユングは学者として、自分の育ったキリスト教徒としての背景から距離をおき、純粋に心理学の視点から聖書を解明しようとしていくつかの著作を発表したようですが、その聖書の最初の本である創世記は、次のような言葉ではじまっています。
「はじめに、神は天と地を創造された」
聖書によると神が世界を創造したプロセスの最初は、霊と物質の世界に区分をもうけたことだ、ということでした。その後、光と闇、空と地、陸と海、昼と夜、野獣と家畜の区分をもうけ、最後に人間を男性と女性に区分し、世界が完成した、と説明されています。ユングの生まれる約3500年前に書かれたこの世界観の足跡を、ユングは意図せずにたどっていたのでしょうか。
人間には真のオリジナルを生み出す事はおそらく不可能なのでしょう。創作や思考においても、自分のルーツにまったく依存しないものを作り出すことはできません。わたしたちにできることは、先人たちから続いている道筋を的確に見つめ直し、それにきれいに沿った新しい道筋を延長していくことだけなのかもしれませんね。
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