構造主義とデザイン(1)
Thoughts

2016.12.12

構造主義とデザイン(1)

こんにちは、commonoデザイナー/翻訳者のうちむらです。
前回予告させていただきましたので、「構造主義とデザイン」について少し書かせて頂きます。といっても、わたし自身は専門家でもなんでもないので、的外れな知見も多数あることをご了承の上ご覧頂きたく…。
webなどで構造主義を調べていくと、ソシュールやレヴィ・ストロースと言った名前が色々出て来て、その後に、現代は構造主義が一段落して、「ポスト構造主義」に移行しているといったような解説が出てきます。そう聞くと、現代は誰も構造主義的な考え方をしておらず、もう否定された考え方だ、という印象をもたれるかもしれません。
しかし、現代が「ポスト」構造主義の時代と言われていると言う事は、逆を言うと「構造主義に取って代わるメインストリームとなるような現代思想がまだ登場していない」、ということになるでしょう。定番過ぎて何か目新しさがないなーと思いつつも、それに変わるだけのパワーを持った思想がない、過渡期と言おうにもその渡った先に何があるか見えていない、「思想」という観点からするとなんかふわふわした時期を21世紀の前後20年くらい、僕らは生きて来ているのかも知れません。
構造主義とは、一体どのような考え方なのでしょうか。一言でまとめると、こんな感じになるそうです。

「私たちはつねにある時代、ある地域、ある社会集団に属しており、その条件が私たちのものの見方、感じ方、考え方を基本的なところで決定している。だから、私たちは自分が思っているほど、自由に、あるいは主体的にものをみているわけではない。むしろ私たちは、ほとんどの場合、自分の属する社会集団が受け容れたものだけを選択的に『見せられ』『感じさせられ』『考えさせられている』」
ー内田樹 「寝ながら学べる構造主義」より抜粋

いかがでしょうか。ご自分の感覚と比べて、腑に落ちる感じがしますか?
私達は普段、自分の思考、判断、行動を自分がしているものと考えますし、自分の接している世界というのはまぎれもない現実です。しかし、その世界観には社会や言語のフィルターが強くかかっており、そこで排除されたものに私達が気づく事やそれが私達の思考の対象になることもない、というのが構造主義の基本的な考え方です。
インドで古くから伝わる次のような話があります。

あるところに三人の盲人がいた。その三人のところに象が連れて来られた。それぞれが象をさわって確かめたところ、
ひとりめは象の足にさわり、「象というのは、大きな丸太のようなものなのですね」といった。
ふたりめは象の耳にさわり、「象というのは、大きなうちわのようなものですね」といった。
さんにんめは象の鼻にさわり、「象というのは、へびのようなものですね」といった。

構造主義的に考えると、私達はそれぞれの盲人のようであり、象は世界をあらわしています。そして私達を(部分的に)盲目にしている要素、それが私達の属する社会集団という事になるかもしれません。私達は本質的に世界の一部分しか知覚することしか出来ず、結果世界観は自ずと偏るという事になります。
この説明を読んだあなたはおそらく、「なんだ、そんなことは常識じゃないか。」と思われるかもしれません。しかし、この感覚が「常識」の市民権を得たのはおそらく、1960年以降です。
21世紀に入ってから起こっている戦争やテロの問題を考えてみると必ず、「同じ戦争でも欧米人から見た構図とイスラム圏の人々から見た構図は異なるので一方的にものを見てはいけない」という意見が(当たり前のように)出てきます。これはおそらく今現在もっとも「常識的な」意見のひとつですが、その常識は70年前には存在しませんでした。
例えば第二次世界大戦で日本が満州を領土にした時に、「中国から見た満州の評価はどうかを多角的に考えてみる」ということを言われたことはなかったでしょう。日本が正しい、あるいは中国が正しいという意見はあっても、「どちらにも同じくらい言い分があるだろうね」という発想は一般的ではありませんでした。
また、1950年代にアルジェリアがフランスからの独立戦争をした時にも、例えばサルトルというフランス人の思想家が独立を支持しましたが、これは、アルジェリアが善でフランスが悪である、という考えに基づくものでした。国際紛争においてはどちらかに絶対的な正義がある、という考え方が思想家にとっても一般的だった訳です。
しかし、この「価値観の絶対性」というものには19世紀後半から、少しづつ異議が唱えられていました。例えばマルクスは「階級意識」という言葉を用い、人間の思考はその属する階級によって異なるという事を指摘しました。フロイトは「無意識」という言葉を用いて、人間は自分がどのように思考しているかを制御できていないという点を看破していた訳です。またニーチェも、自分が何者であるかを認識することは出来ない、として、同時代の人々を「憶断の虜囚」と呼びました。無知な決めつけにとらわれている、と声高に訴えたのです。
この「常識を疑う」という姿勢が、デザインと深く関わってくると、僕は思います。それはこのフレーズが一般的に使われるような「ブレイクスルー」を狙うという意味ではなく、自分の思い込みの奴隷になっていないかという問いを、デザイナーは常に問う必要があると思うのです。
アートとは異なり、デザインの成功・失敗の評価は、(少なくともこちらが想定した層の)ひとびとに届けたいメッセージが伝わるかどうか、という事になります。どんなにすばらしいメッセージでも、相手の理解出来ない言語で届けられるなら、無意味な雑音に過ぎません。commonoが発信するデザインから相手は何を受信するか、前者と後者は必ずしもイコールではありません。あるいは、ものごとの見るべき全体をとらえることを怠り、本来は象であるものを「丸太」として発信してしまうなら、それはデザインとしては失敗ということになるのでしょう。
さて、そのような視点が思想家の中でわき上がって来た中、それを構造主義というものにまとめたのは一人の言語学者でした。
つづきます。

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